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Profile and Monologue

定点観測画像記録発信システム
Sorry, Only for JAP. & IE3.02
Copyright Muse Ishikawa. 1998

作者紹介、近況その他、独り言

仕事に関するわたしの履歴

就職
さて、カメラに関する私の履歴とも重複する部分が多いが、色々と感想のメールも頂くことの多い「仕事に関する私の履歴」を もう少し掘り下げて語ってみたい。

そもそも、大学時代、私はあまり就職については深く考えていなかった。もちろん、大学3年生の頃から、写真ラボの夜勤のバイト を続け、勤務評価も良かった(らしい)こともあり、仕事についてはまぁ何でも与えられた事は出来るという自負は有った。 しかし、そもそも、私の幼少のころからの将来の夢は「科学者」になることで、高校辺りでそれが挫折してしまったからには、 具体的に何かになりたいというものは存在しなかった。

小中学校の成績が常に学年で5位以内でも、勉強しなければその後の進路は狭いものなのだ。 実は、これは当時からの親の受け売りなのだが、わたしは「勉強する」というのも個人の能力の一つだと思っている。 私の場合、高校時代は本当に勉強しなかった。 ラサール高校などという、超進学校に入ったせいもあるが、勉強出来る生徒が当たり前の学校では、地元の小中学校でいくら 学年上位でも何の自慢にも、いや免罪符にもならないのだ。上には上が居るわけだ。

結局、親の転勤に乗じて札幌の普通高校に編入学して、ありふれた高校生になった。しかし、今となってみても、なぜ私があれほど 数学が出来なかったのか、謎のままだ。本当に赤点の連続だった。その反面、物理も化学も学年トップクラスだったのだが、 数学が赤点では、理数系クラスに入ることは出来ない。結局文系クラスで大学受験を行う状況になってしまったのだ。

今になって思うと、理系マインドな文系IT技術者ってのも、もしかすると面白いのかもしれないが。

大学時代のサークルの先輩(今は現役漫画家)が就職した会社を紹介してくれた事で、地元の中堅印刷会社に営業として就職。 なぜ、印刷会社かという疑問は今でも抱いている。自分でもそういう思考回路で印刷会社の営業マンなどという、広告代理店の 二番煎じみたいな職種を選択したのかは、謎のままだ。

もちろん、仕事は嫌では無かったし、自分なりのこだわりや美的センスを活用出来るという面では、それなりに仕事をこなすことは 出来た。もちろん、有意義でも有った。ラボのバイト時代の知識も結構役にたった。 ここで、美的センスという点に触れておきたいと思うが、 私は自分の美的センスが優れているとは決して思っていない。「いいなぁ」と思うデザインやセンスを真似ても、 決してそれを越える事は出来ないからだ。 今でも自分では「批評は出来るが自分ではオリジナルは作れない」と思っている。

なぜ、私がデザインや美的センスにこだわりを持っているかという事は、幼稚園にまでさかのぼるが、端的に言えば「そういう方面が好き」 だからにすぎない。これは、現在の仕事においても、「こだわり」としてかなり強く反映されている。機材の選択でも 「カッコイイデザイン」が最優先。ソフトウェアのフォームをとっても、バランスや色調には妙にこだわる。かと言って、完成品が デザイン的に優れているかどうかは別問題のようだ。デザイン方面に秀でた人の「作品」を見つける度に、感嘆している。

さて、営業マンとして就職した会社には、まだパソコンが無かった。まぁ、大学ですらCOBOLとFORTRANを学習していた時代、会社に 有ったのは、夕方5時になると使えなくなる電電公社のテレタイプ端末だけだった。その後、M23とかいうSORDのパソコンが入って 来たが、ソフトは会社の常務の息子が会社を作って作成した物だった。LEVEL2COBOLで出来ていた経理処理プログラムは、I.I.I.という GUIライブラリを使って、それなりに動いていた。

しかし、営業部にはパソコンなどは存在せず、有るのは電卓とそろばんだけだ。そんな中で、私は会社にCASIOのポケコンを持ちこんだ。 ポケコンには、印刷見積計算プログラムが入っていて、チラシやパンフレット程度の見積は、仕様を入力するだけで一発で出す事が 出来た。私が作った最初の業務用プログラムだった。

その後、このプログラムフローは、会社の印刷物受注システムのコアとなってゆく。偶然何かのきっかけでそのプログラムが上司の目に とまり、その後のパソコンシステム導入のきっかけとなったのだ。私はシステム導入プロジェクトを兼任して二足の草鞋を履くことになる。 そのような状態は10年以上続いた。

そんな時期に、外部のソフトハウスや大手印刷会社も受注管理や原価計算システムの開発を推進し、多くの印刷会社でもシステム化が 図られるようになった。会社でも、本格的にシステム開発を行うこととなり、専門プログラマが私の下に付く事になった。管理伝票系 は次々と電算化されてゆく。そして、本格的な原価管理システムや、進捗管理システムの導入に際して、専門の部署設置される事になった。 わたしは、営業から配置転換を受け、初代室長に就任した。

最初のMS-DOSベースでの開発は成功した。受注システムと経理システム、バーコードを使った進捗管理システムは実務稼働した。 しかし、完成と同時に、統合化原価管理システムをWindowsベースで開発するというプロジェクトが起ち上がった。 投入された人員は私を含め3名。もちろん私はプログラマーではなくディレクターであり、実質2名が開発に当たった。

Windowsの開発は予想以上に遅延した。今となってみると、勘定系を担当したプログラマの能力不足だったとも言えるが、現場でそれを 見抜けなかった私は、スケジュールが遅延する度に言い訳をして回る日々が多くなった。 「悪い奴じゃないから」「能力は有るんだけど」という、部下に対する甘い人事評価は管理職として最低と言える。 だが、私は上司という立場の中で部下を擁護する機能だけを行使してしまっていた。

転職
こうして振り返ると、我ながら自分でも謎の多い人生だ。もしかするとこれが後に快感になってゆくのかもしれない。 部下に仕事をさせるという事に対する甘い認識が、結果的に裏目に出て、主幹業務分野で業績評価を著しく落とす。

結局、仕事の進み具合が停滞し、各部門から苦情が出始める。システム部門全体が解体の危機に陥った。

汚名返上でボチボチやりはじめた時に、経営陣の気まぐれ人事。マッキントッシュのクリエイティブ部門との統合の話がでる。裏では反骨的な発言の目立つシステム部門を、潰しに動いていた取締役が数名居た様子。直属の上司(取締役)を飛びこしての寝耳に水の異動人事発令で紛糾。そもそも、無能な直属の上司が事態を正確に把握していなかったのが問題だ。いや、私に正確に伝えて来なかったと言えるかもしれない。 不注意で無能な直属の上司が、システム部門から提出した社内改善指摘評価という内部文章を、役員への業務報告書と差し違えるという究極の致命的ミスも加わって、役員の中で感情論が先行し爆発、誰かが混乱の責任を取らねばならない形に追い込まれる。

この時私は「何てことしてくれるんだ」と言って、その書類を回収すればあるいは事は大事に至らなかったかもしれない。 しかし、この時既に私はどうでもいいとさじを投げていたのだと今思う。

懲罰理由は異動人事を私が拒否した形が問題になったのだが、実は私は拒否などして無かった。 無能な上司が私に何も指示をしなかったので、私が動けなかっただけなのだ。 まぁ、この辺りも真相は闇の中。勝手な役員からの人事で、総務部ですら人事異動については寝耳に水だったらしい。 人を憎めば穴二つとも言うのかもしれない。

後日談だが、この気まぐれ人事の発案者は誰かの呪いを受けて、数年後に病に伏し他界したそうだ。合掌。

色々なベクトルが見え隠れしていたが、いい加減、コロコロと気まぐれと感情でシステム化の方針が変わる会社(経営陣)のやりかたに、嫌気が差していたタイミングだったので引責退職に同意。会社システム化の功労を一部の役員から考慮され、多少の退職金をもらい退職する。17年間のサラリーマン生活だった。

およそ一ヶ月の休眠期間を経て、アメリカ・カリフォルニアのシリコンバレー、サンノゼで仕事が有るというIT関連会社に就職し単身渡米。英語オンリーの環境で自炊生活。しかし、ベンチャーを標榜する割には思いっきり日本経営の見本のような「体質」の社長と古株社員にゲンナリ。数ヶ月の短いアメリカ生活に終止符。シリコンバレーの精神を完全にはき違えてる日本の高度経済成長の亡霊的ベンチャーは要注意ですね。結局、会社というのはベンチャーと言っても、経営者の価値観におけるベンチャーであって、社員の価値観でのベンチャーではないと実感。趣向が「ベンチャー会社の経営をしたい」人間と、「やりたい仕事を自由にしたい」人間とは、ベンチャーの意味の捉え方が180度違うことに気がついて、帰国後、独立を決意した。

個人事業者
帰国後、私は青色申告の個人事業者となった。ついでに、札幌商工会議所の会員(半分強要)にもなっている。独立して良かった点は、仕事について1から10まで自分で手がけることが出来ること。経費の分配から裁量、機材機器の導入、営業戦略、営業活動までが、全部自分のやりかたで出来る点だ。会社員の営業マン時代でも一匹狼的な営業マンだったので、営業活動についてはなんら苦は無い。経営状態も自分で把握出来るという点は、最高だ。たぶん、そういう細かい点を考えたく無い人には苦痛かもしれないが、私は原価管理は好きなほうだったりする し、貸借対照表を眺めるのも好きだ。また、IT関連技術者の中には営業活動を忌避する方も多くいるがが、私は嫌いじゃ無い。 むしろ、他人と交流できる事で、SOHOにありがちな引きこもり体質も改善できるし、営業情報も増えて嬉しい。

ただ、反面、サラリーマン時代と違うデメリットも多く存在する。その中で一番最初に感じたのは、税金や社会保障の掛け金の多さ。サラリーマン時代は多くを会社が負担してくれたものが、現在は当時のほぼ倍額を支払っている。また、給与天引きなどという税金感覚を麻痺させる悪癖が存在せず、すべて自分で支払いに行く事で、その分、政府役所の税金の使い方に敏感になったとも言える。仕事の面では、やはり不安定さがつきまとう。幸いにもコンスタントに仕事をくれる会社に恵まれたが、それが一生続くとは限らない。スポット的な仕事も安定供給される訳では無い。営業活動をしてもその1%が仕事に結びつけば良いほうかもしれない。そういう意味では、会社員時代にやった営業マンの仕事をさらに過酷な物にしたとも言えるかもしれない。しかし、私はそういうものに意外と楽しさを感じている。戦略シミュレーション好きな性格が功を奏しているのかもしれないが。

また、社会的な地位という面でもデメリットはある。「会社員」という階層はそれだけで一定の信用を持っている。何かにつけて会社名を書く機会は多いはずだ。残念ながら、個人事業者はホームレスと紙一重の存在だ。だから、社会的信用はほとんど無い。官公庁から受注する場合には、間に一社、法人格を入れるように暗に要請される。

法人化
そうこうしている間に、個人への発注は、発注者側に色々と障壁が発生する事実に直面する。ほとんどの場合は、現場サイドでの発注状況を たまに見た経営者が「こいつは誰だ?」と気まぐれに言い出す状況。外注費削減で外注の頭数を減らす際に、事情も確認せずに最初に落とされるのは個人事業者なのだ。どれほどの特異な技術やノウハウを持っていても、どこにでもある個人事業者など、たかが知れている。

そのような状況で、私は計画を1年前倒しして、いきなり法人格を得ることにした。資本金などは、もともと自己資金が確保されていたので 問題にはならなかった。無謀にも、いきなり法務局に出向き「会社作りたいんですけど、どうすればいいですか?」と質問するという 暴挙に出た。いや、半分確信犯だったのだが、司法書士などに頼むのは嫌だった。 税金払っている以上、法務局の役人を最大限に活用しない手はない。 結局、おそらく法務局に足を運んで窓口で質問する回数は1.5倍くらい多かったようにも思えるが、 素人の突撃登記の割りには、ほとんど問題もなく(公証人談)完了した。 実際には、通常、公証人などに作成してもらう会社設立のための定款などは、フルスペックで作成される事が多い。 実際には必要最小限の項目はさほど多く無いのだ。書き方に柔軟性を持たせれば、子細に規定を作成する必要は無い。 最初はそれで十分のはずだ。もちろん、会社が大きくなれば、きっちり決めておくべき(ほうがよい)項目は増えるだろう。

さて、こうして私は代表取締役として法人の代表となった。いわば社長だ。だからと言って、法務上、税制上の区分なだけで、 それによって得られる事は、当然、自分の仕事の仕方次第な事には変わりない。フリーソフトだって以前となんら変わらない。

法人格を得て、実際に仕事をする上でのメリットは、やはり取引手順がスムーズになった事だろう。役所の受注関係でも問題無い。 また、企業間の取引も、私が十数年勉めた会社の手順と同じになり、気分的な繁雑さが薄れた。税制上も、個人所得だった売上が 全て法人としての会社に一旦入ることで、ウチのような研究開発費の多大な仕事では、大きく税負担が緩和された。

次に、法人格を株式会社にアップグレードする時は、社員が増えた時かな(笑)。


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